俺らはどんだけ「ぽてまよ」が好きなのかと(ry「ぽてまよ」の深い考察談義を「ぽてまよ」と直接関係のない
「S・A」感想のコメント欄に埋もれさせておくのはなんだか勿体無いので、単独記事でログを残しておきます。
後から「ぽてまよ」カテゴリから辿って読み返せるようにしときたいし。
「ぽてまよ」最終回直後に抱いた複雑な想い。
俺らが求める「ぽてまよ」の真の完結とは?
あの時うまく言えなかった思いの丈をぶつけてます。
▽コメントログ▽キッズステーション再放送で「ぽてまよ」を1話から最終話までやっと通してみました。とても面白かったです。ただ私は基本的に「ギャグ」を中心に見てしまったので、お母さんの話とかは割りとストレートには描いていないで視聴者に想像させる演出だったので、そこら辺の裏側があまりうまく想像できませんでした。そもそも「ぽてまよ」が何を象徴していて、何のために主人公の元へやってきたのかとか。
奥深い作品だと思いました。見ただけの価値はありました。…次はAirを見ようと思います(現在7話途中)。
2008/04/13 10:40 | URL | 中谷@無重力 #HuBhO90w [ 編集 ] 大半の人が中谷さんと同様の、「ギャグものとしてふつーに面白かった」って評価なんですよね。
んで、大半の人がぽてまよの面白さをちゃんと説明できないんですよね。
うちとかは「ふつーに」どころの話じゃなくて、キャラの関係性重視の日常コメディの「理想系」なんですけどね。
この辺はツボの違いとしか言いようがないのかも。
うちとかはキャラの関係性が想像で膨らんでいく作品とかめっさツボですし。
>そもそも「ぽてまよ」が何を象徴していて、何のために主人公の元へやってきたのかとか。 ぽては「母親」の代替物の象徴。
母親を亡くした寂しさを癒してくれる存在。
亡くした母親の代わりに安らぎを与えてくれる存在って事だと思う。
素直は未だ亡くした母親の呪縛に囚われて自立できてない存在。
だから母親が死んだ時に傍にいてくれなかったパパに未だにひどく当たったりする。
それは自立できてない子供じみた「甘え」からきてる。
その事をラス前でみかん(みかんも母親の代替者)に叱られて素直もちょっと理解する。
でもアニメ1期の最終話の時点では素直はまだちゃんと自立できたわけではない。
まだ自立するきっかけが出来ただけ。
ぽてと別れる時は素直が完全に自立できた時。
素直が完全に自立できた時こそぽてとちゃんとお別れできる。
だからぽては素直が母親への依存から抜け出して自立するためにやってきた存在なんじゃないでしょうか。
だから野比のび太がドラえもんから自立しようと頑張ったように、森山素直も母親から自立しなくてはならんのですよ。
「ぽてまよ」はそういう物語だと勝手に思ってます。
原作もまだそこまで描かれてるわけじゃないし、完全に俺の想像ですけどね。
2008/04/13 13:03 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] 以下僕のぽてまよ観を。
ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。
この場合素直とみかんのふたりがぽての両親という扱いで、森山家に照らし合わせるとぽての性別が素直と反対のため立ち位置も逆。素直が母を愛するようにぽては素直を愛するし、素直が父にツンデレているようにぽてもみかんにツンデレてしまう。
素直は接することで自分が“家族的な愛情”を切望していたことを自覚して、であるのに誰かを理解しようという姿勢が欠如していたこと(この辺、ED曲『うたたね』によく表れているような気がします。彼は自分から狭く、そして深い関係性を欲していてそれに閉じ籠りたいとする節があるんじゃないでしょうか)も知る。
父親の愛情に対して目を閉じていた。みかんの尋常ならざる好意に(無意識手にせよ)応えていなかった(この場合、肯定的にでも否定的にでも“答え”を出していなかったという意味で)。
それにようやく気付くのが、アニメ版ぽてまよのクライマックスだったんではないかと。みかんに叩かれたことを、自分を気に掛けてくれていたことを(あのとき叱った分だけでなく)、そこに愛情があったことに対しての「ありがとう」を贈るのが。
次には彼は父親との関係性を見直さなければならないでしょうし、自分の殻というか、“とても狭い関係性”に埋没しようとする自分から抜け出さなければならない。
素直は今ようやくみかんを直視出来た。けれど、それで満足するのではなく、彼女がくれる居心地のいい状態だけで彼の世界を閉じさせてしまうのではなく、これから広がって行かなければならない、自立していかなければならない。
今までの自分の象徴が、ぽてまよだとする。だったら決別しなければならなかった……というのは僕も同意ですね。
でなければまたぽてまよに依存して、今度はみかんに寄り掛かって、それだけになってしまいかねない。そこまで素直を過小評価したくないけれど「ぽてまよが帰って来た(復活した)」ということは、彼がまだ抜け出せていないという比喩にも見えてしまう。
原作のストックが溜まるまでなんてケチなことを言わずに、あのスタッフたちならきちんと“答え”を出せたはず!!(オリジナル展開になりますが、ぽてが起き上がらないままで終わらせてもよかった)
2期を!!2期を早く!!!
2008/04/13 18:13 | URL | まぬけづら #d8HClGl2 [ 編集 ] >ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。 なるほどなー。言われてみるとそっちの方がしっくりくるかも。
ぽてと接している時の素直は完全に母親のそれですもんね。
母親の立場に立って子供(ぽて)と接する事で、子供はいつまでも親に甘えているだけではダメだと感じ、それを自分に当てはめて気付く物語って事か。
ぽては母親の代替者って表現は適切ではなかった。
なんしか素直にとってぽては「亡くした母親の代わりに家族のぬくもりを与えてくれる存在」ってのが言いたかったんですよ。
そしてやっぱ「ぽてまよ」は素直が自立しなければならない物語ですよね。
やっぱ第2期で完全なる結末が見たいですなー。
2008/04/13 22:08 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] > 「ギャグものとしてふつーに面白かった」って評価 というか作品自体が、普通のギャグを前に出したつくりだから、裏側が分かりにくいんですよ、と思っています。だいぶ気をつけないと見逃すと思うのですが。
> ぽては「母親」の代替物の象徴。
> 母親を亡くした寂しさを癒してくれる存在。
> ぽてと別れる時は素直が完全に自立できた時。
> 素直が完全に自立できた時こそぽてとちゃんと別れできる。 ああ、それはなんかすっきりします。
ぽてまよが、母親がやってきたというのであって、最後の別れを感じさせるシーンが、自立だというのもなんか分かります。
もしよろしければもうちょっとお伺いしたいのですが、最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。
最後に花が咲いたときにぽてまよが一旦天に上がる描写があって、私は見ていて、あそこで終わるんだと思っていたのですが。ストーリー的にはまぬけづらさんがいうようにぽてまよが目覚めないままで終わるほうが、作品としてはすっきりしたんじゃないか、目覚めて普段の日常に戻ったのは、ぽてまよがギャグのフォーマットで作っていた作品だったからギャグで落としたんじゃないかと思ったのですが。
> ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。 …なんか、解釈がすごく難しいですね。ぽてまよはこんなに奥深い作品だったのか。見方が甘かったです。
> (オリジナル展開になりますが、ぽてが起き上がらないままで終わらせてもよかった) というか、私はその展開のほうが見終わってなんか、すごく考えたと思うんですよ。
2008/04/14 08:36 | URL | 中谷@無重力 #HuBhO90w [ 編集 ] >作品自体が、普通のギャグを前に出したつくりだから、裏側が分かりにくいんですよ、と思っています もちろん「ぽてまよ」はまごう事なきギャグ作品ですよ。
シュールギャグアニメとして超ハイレベルな近年最高傑作です。
間の取り方とか絶妙だし、作画のちょっとした動きでシュールな笑いをとるとか超上手かったし、音響の使い方も絶妙だったし、ちゃんとアニメーションでシュールな笑いを演出してるハイレベルなギャグアニメでした。
でも単なるギャグ作品だけじゃなくて、キャラの関係性のドラマを色々と妄想する余地がある作品なんですよ。
>最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。 花は「儚い生命」とか「限りある命」の象徴かなー。
「成長」とか「変化」とかそんな類かも?
「今ある状況は絶対じゃない」「いつか変わっていく」「変わらなくちゃいけない」って事を素直に伝えようとしてるのかなー?
俺もその辺はちゃんとした答えを出せてないです。
>あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。 なんだろう…?
ぽてと対照的な者というのが存在意義かなー?
真っ直ぐ求愛するぽてに対して、クーデレでうまく求愛できないぐちゅ子。
いつもベッタリな素直とぽてに対して、適度に距離を保ってる京ちゃんとぐちゅ子。
家族に依存して自立できてない素直に対して、ふつーに自立できてる京ちゃん。
それぞれが対照的なので、素直のパーソナルも浮き彫りになってきます。
>最後に花が咲いたときにぽてまよが一旦天に上がる描写があって、私は見ていて、あそこで終わるんだと思っていたのですが。ストーリー的にはまぬけづらさんがいうようにぽてまよが目覚めないままで終わるほうが、作品としてはすっきりしたんじゃないか、目覚めて普段の日常に戻ったのは、ぽてまよがギャグのフォーマットで作っていた作品だったからギャグで落としたんじゃないかと思ったのですが。 あのアニメ最終回のエピソードって原作漫画のエピソードそのままなんですよ。
あのエピソードは別に物語を締めくくるエピソードじゃなくて、「泣ける話の直後に軽く裏切る」っていうギャグエピソードなんですよ。
まあ、素直が過ち(甘え)に気付きみかんにあやまる(自立するきっかけ)というドラマも盛り込んでるので重要なエピソードではあるんですが、そのまま最終回用の締めのエピソードに最適かっていうとちょっと違うんですよね。
やっぱその先にあるドラマを描ききってこそ完全なる結末なんですよね。
でも、まあ、原作がまだ続いてるアニメで完全なる結末を描いてしまうと第2期の可能性を打ち消してしまうので、妥当な最終回だったとは思います。
でもやっぱ素直が家族への依存(甘え)から抜け出し、ぽてとも決別し、完全に自立するドラマの結末がいつの日か見たいです。
2008/04/14 21:21 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] >なんしか素直にとってぽては「亡くした母親の代わりに家族のぬくもりを与えてくれる存在」ってのが言いたかったんですよ。 分かる、分かりますよぉおおおおおおお!!!!!
>そしてやっぱ「ぽてまよ」は素直が自立しなければならない物語ですよね。
>やっぱ第2期で完全なる結末が見たいですなー。 「ぬくもりは既に傍にあった」ことに気付き、今度は彼自身が寒いのを我慢してでも誰かを温めてあげられるようになる番。
いや、本当に二期が待ち遠しいです><
> もしよろしければもうちょっとお伺いしたいのですが、最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。 頭の花は種子を飛ばすことがミソで、自分の生命を懸けてでも、新たな生命を未来へ繋げることがキーなのではないかなと。
もすこし言い換えると、
「どんな生命でもいつかは消えてしまうけれど、子孫を残すことで脈々とその連なりを未来へと繋げていくことが出来る。死(悲しみ)を受け入れることで、生(喜び)を謳歌出来る」
ということのではないかと。
ぐちゅ子周りは素直×みかん×ぽてまよラインとは別ラインですね。素材は違いますが、出来あがる料理は同じ。テーマの強調ということなのではないかと。
というか、ぽてまよに全貌に触れようとするとむったんやねね様にも触れざるを得ないのですがここでは割愛しますね。
ぽてまよは「同性愛」もそうですが、「世の中にあるどうにもならない理不尽とどう戦うか」という話に行き着くと思うんですね。目の前にある理不尽に囚われず、未来を見据えて真っ直ぐ生き抜く哲学を説いているんじゃないかなーと。
別に強くなくともよくて、ときには誰かを頼ってもいい。けれど行き過ぎるな、それでは根が絡まらるぞ、みたいな。
ぽてまよは世界樹なんですよ!というのは行き過ぎた妄想なんで置いておきますw2008/04/14 23:44 | URL | まぬけづら #d8HClGl2 [ 編集 ] >頭の花は種子を飛ばすことがミソで、自分の生命を懸けてでも、新たな生命を未来へ繋げることがキーなのではないかなと。 ああ、そうだ、「再生」とか「繋がっていく生命」みたいなキーワードもちょっと考えてたんだ。
ぽてとぐちゅ子に子供が出来たのは森山素直のドラマやテーマに直結する重要な出来事なのは間違いないでしょうね。
素直がぽて(子供)と接する事で何かに気付く物語であるならば、ぽても子供と接する事で何かに気付き、その気付きがまたぽてと素直との関係性にも影響し、素直の自立の道に繋がるみたいな。
>ぐちゅ子周りは素直×みかん×ぽてまよラインとは別ラインですね。素材は違いますが、出来あがる料理は同じ。テーマの強調ということなのではないかと。 その通りでしょうね。
素直・素直ママ・素直パパ・みかん・ぽてまよで織り成すドラマのテーマを浮き彫りにする為に対照的な関係性をもつ別ラインのドラマも用意したって感じですよね。
むにゅさんが言う「ぐちゅ子は完全なる生命体であり、他者の協力を必要としない自立した孤高の存在」っていう説明も素直&のぽての対照的な存在としてもの凄く納得のいく説明でしたし。
自重せずに思いの丈を目一杯書いたらいいのにw
>ぽてまよは「同性愛」もそうですが、「世の中にあるどうにもならない理不尽とどう戦うか」という話に行き着くと思うんですね。
>目の前にある理不尽に囚われず、未来を見据えて真っ直ぐ生き抜く哲学を説いているんじゃないかなーと。
>別に強くなくともよくて、ときには誰かを頼ってもいい。けれど行き過ぎるな、それでは根が絡まらるぞ、みたいな。 だんだん着いていけなくなってきたんだけどw
言いたい事はわかるけど。
>ぽてまよは世界樹なんですよ! そこまでいくとMMRになっちゃうよ!w
なんしか、こうやって色々と思いを馳せる余地がある「ぽてまよ」はほんと懐が深い素晴らしい作品ですよねー。ぽてまよ万歳。
2008/04/15 19:27 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ]>ぐちゅ子は1人で生きぬく力を持った「完全な生命体」であり、孤高の存在。生きるために他者の協力を必要としない、完璧に自立した生き物なんですね。であるから本来は他者と共存する必要はないし、人という存在に頓着すらしない。そうであるがゆえに、精神的にはひどく未熟で臆病。ぽてまよの「まっすぐな素直さとめげない強さ」と対照的に、ナイーブな精神性を持ったぐちゅ子に対する京ちゃんの「大人な対応」が(省略されました…続きを読む場合はコメント欄に「もっふるもっふる」と打ち込んでください) (あにたむ亭)もっふるもっふる自重せずに目一杯書いたらいいじゃないか!w
ぐちゅ子の解釈はめっさ納得できたし、参考になりましたよ!
■追記>>あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。
>ボクは、ぐじゅ子もスナオのメタファだと思いました マル
>平たく言えばスナオの排他的な部分の象徴じゃないかな〜って思いますです。
>最終話でポテ同様、ぐじゅ子もスナオの変化に呼応してましたし、生まれも同じスナオん家の冷蔵庫ですし。自分の中ではそれでFAっすw(COCORO・de・LIVE)実はそれも考えてました。
だから中谷さんへの返答も、「ぽてと対照的な者」と「素直のメタファー」とどっちを答えにしようか散々迷ったあげく前者にしたんだけど、「素直のメタファー」ってのはかなりあると思います。
つか、最初から両方書いておいたら良かったよw
最終話でぐちゅ子が京ちゃんに歩み寄るシーンを思い返すとまた感動してきますよね。
ぐちゅ子が京ちゃんに歩みよったように、素直はパパとの関係を見直してパパにちゃんと歩み寄らねばなりませんよね。
▽コメントログ▽キッズステーション再放送で「ぽてまよ」を1話から最終話までやっと通してみました。とても面白かったです。ただ私は基本的に「ギャグ」を中心に見てしまったので、お母さんの話とかは割りとストレートには描いていないで視聴者に想像させる演出だったので、そこら辺の裏側があまりうまく想像できませんでした。そもそも「ぽてまよ」が何を象徴していて、何のために主人公の元へやってきたのかとか。
奥深い作品だと思いました。見ただけの価値はありました。…次はAirを見ようと思います(現在7話途中)。
2008/04/13 10:40 | URL | 中谷@無重力 #HuBhO90w [ 編集 ] 大半の人が中谷さんと同様の、「ギャグものとしてふつーに面白かった」って評価なんですよね。
んで、大半の人がぽてまよの面白さをちゃんと説明できないんですよね。
うちとかは「ふつーに」どころの話じゃなくて、キャラの関係性重視の日常コメディの「理想系」なんですけどね。
この辺はツボの違いとしか言いようがないのかも。
うちとかはキャラの関係性が想像で膨らんでいく作品とかめっさツボですし。
>そもそも「ぽてまよ」が何を象徴していて、何のために主人公の元へやってきたのかとか。 ぽては「母親」の代替物の象徴。
母親を亡くした寂しさを癒してくれる存在。
亡くした母親の代わりに安らぎを与えてくれる存在って事だと思う。
素直は未だ亡くした母親の呪縛に囚われて自立できてない存在。
だから母親が死んだ時に傍にいてくれなかったパパに未だにひどく当たったりする。
それは自立できてない子供じみた「甘え」からきてる。
その事をラス前でみかん(みかんも母親の代替者)に叱られて素直もちょっと理解する。
でもアニメ1期の最終話の時点では素直はまだちゃんと自立できたわけではない。
まだ自立するきっかけが出来ただけ。
ぽてと別れる時は素直が完全に自立できた時。
素直が完全に自立できた時こそぽてとちゃんとお別れできる。
だからぽては素直が母親への依存から抜け出して自立するためにやってきた存在なんじゃないでしょうか。
だから野比のび太がドラえもんから自立しようと頑張ったように、森山素直も母親から自立しなくてはならんのですよ。
「ぽてまよ」はそういう物語だと勝手に思ってます。
原作もまだそこまで描かれてるわけじゃないし、完全に俺の想像ですけどね。
2008/04/13 13:03 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] 以下僕のぽてまよ観を。
ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。
この場合素直とみかんのふたりがぽての両親という扱いで、森山家に照らし合わせるとぽての性別が素直と反対のため立ち位置も逆。素直が母を愛するようにぽては素直を愛するし、素直が父にツンデレているようにぽてもみかんにツンデレてしまう。
素直は接することで自分が“家族的な愛情”を切望していたことを自覚して、であるのに誰かを理解しようという姿勢が欠如していたこと(この辺、ED曲『うたたね』によく表れているような気がします。彼は自分から狭く、そして深い関係性を欲していてそれに閉じ籠りたいとする節があるんじゃないでしょうか)も知る。
父親の愛情に対して目を閉じていた。みかんの尋常ならざる好意に(無意識手にせよ)応えていなかった(この場合、肯定的にでも否定的にでも“答え”を出していなかったという意味で)。
それにようやく気付くのが、アニメ版ぽてまよのクライマックスだったんではないかと。みかんに叩かれたことを、自分を気に掛けてくれていたことを(あのとき叱った分だけでなく)、そこに愛情があったことに対しての「ありがとう」を贈るのが。
次には彼は父親との関係性を見直さなければならないでしょうし、自分の殻というか、“とても狭い関係性”に埋没しようとする自分から抜け出さなければならない。
素直は今ようやくみかんを直視出来た。けれど、それで満足するのではなく、彼女がくれる居心地のいい状態だけで彼の世界を閉じさせてしまうのではなく、これから広がって行かなければならない、自立していかなければならない。
今までの自分の象徴が、ぽてまよだとする。だったら決別しなければならなかった……というのは僕も同意ですね。
でなければまたぽてまよに依存して、今度はみかんに寄り掛かって、それだけになってしまいかねない。そこまで素直を過小評価したくないけれど「ぽてまよが帰って来た(復活した)」ということは、彼がまだ抜け出せていないという比喩にも見えてしまう。
原作のストックが溜まるまでなんてケチなことを言わずに、あのスタッフたちならきちんと“答え”を出せたはず!!(オリジナル展開になりますが、ぽてが起き上がらないままで終わらせてもよかった)
2期を!!2期を早く!!!
2008/04/13 18:13 | URL | まぬけづら #d8HClGl2 [ 編集 ] >ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。 なるほどなー。言われてみるとそっちの方がしっくりくるかも。
ぽてと接している時の素直は完全に母親のそれですもんね。
母親の立場に立って子供(ぽて)と接する事で、子供はいつまでも親に甘えているだけではダメだと感じ、それを自分に当てはめて気付く物語って事か。
ぽては母親の代替者って表現は適切ではなかった。
なんしか素直にとってぽては「亡くした母親の代わりに家族のぬくもりを与えてくれる存在」ってのが言いたかったんですよ。
そしてやっぱ「ぽてまよ」は素直が自立しなければならない物語ですよね。
やっぱ第2期で完全なる結末が見たいですなー。
2008/04/13 22:08 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] > 「ギャグものとしてふつーに面白かった」って評価 というか作品自体が、普通のギャグを前に出したつくりだから、裏側が分かりにくいんですよ、と思っています。だいぶ気をつけないと見逃すと思うのですが。
> ぽては「母親」の代替物の象徴。
> 母親を亡くした寂しさを癒してくれる存在。
> ぽてと別れる時は素直が完全に自立できた時。
> 素直が完全に自立できた時こそぽてとちゃんと別れできる。 ああ、それはなんかすっきりします。
ぽてまよが、母親がやってきたというのであって、最後の別れを感じさせるシーンが、自立だというのもなんか分かります。
もしよろしければもうちょっとお伺いしたいのですが、最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。
最後に花が咲いたときにぽてまよが一旦天に上がる描写があって、私は見ていて、あそこで終わるんだと思っていたのですが。ストーリー的にはまぬけづらさんがいうようにぽてまよが目覚めないままで終わるほうが、作品としてはすっきりしたんじゃないか、目覚めて普段の日常に戻ったのは、ぽてまよがギャグのフォーマットで作っていた作品だったからギャグで落としたんじゃないかと思ったのですが。
> ぽてまよは“子供”の象徴で、物語的には“素直”のメタファー。 …なんか、解釈がすごく難しいですね。ぽてまよはこんなに奥深い作品だったのか。見方が甘かったです。
> (オリジナル展開になりますが、ぽてが起き上がらないままで終わらせてもよかった) というか、私はその展開のほうが見終わってなんか、すごく考えたと思うんですよ。
2008/04/14 08:36 | URL | 中谷@無重力 #HuBhO90w [ 編集 ] >作品自体が、普通のギャグを前に出したつくりだから、裏側が分かりにくいんですよ、と思っています もちろん「ぽてまよ」はまごう事なきギャグ作品ですよ。
シュールギャグアニメとして超ハイレベルな近年最高傑作です。
間の取り方とか絶妙だし、作画のちょっとした動きでシュールな笑いをとるとか超上手かったし、音響の使い方も絶妙だったし、ちゃんとアニメーションでシュールな笑いを演出してるハイレベルなギャグアニメでした。
でも単なるギャグ作品だけじゃなくて、キャラの関係性のドラマを色々と妄想する余地がある作品なんですよ。
>最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。 花は「儚い生命」とか「限りある命」の象徴かなー。
「成長」とか「変化」とかそんな類かも?
「今ある状況は絶対じゃない」「いつか変わっていく」「変わらなくちゃいけない」って事を素直に伝えようとしてるのかなー?
俺もその辺はちゃんとした答えを出せてないです。
>あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。 なんだろう…?
ぽてと対照的な者というのが存在意義かなー?
真っ直ぐ求愛するぽてに対して、クーデレでうまく求愛できないぐちゅ子。
いつもベッタリな素直とぽてに対して、適度に距離を保ってる京ちゃんとぐちゅ子。
家族に依存して自立できてない素直に対して、ふつーに自立できてる京ちゃん。
それぞれが対照的なので、素直のパーソナルも浮き彫りになってきます。
>最後に花が咲いたときにぽてまよが一旦天に上がる描写があって、私は見ていて、あそこで終わるんだと思っていたのですが。ストーリー的にはまぬけづらさんがいうようにぽてまよが目覚めないままで終わるほうが、作品としてはすっきりしたんじゃないか、目覚めて普段の日常に戻ったのは、ぽてまよがギャグのフォーマットで作っていた作品だったからギャグで落としたんじゃないかと思ったのですが。 あのアニメ最終回のエピソードって原作漫画のエピソードそのままなんですよ。
あのエピソードは別に物語を締めくくるエピソードじゃなくて、「泣ける話の直後に軽く裏切る」っていうギャグエピソードなんですよ。
まあ、素直が過ち(甘え)に気付きみかんにあやまる(自立するきっかけ)というドラマも盛り込んでるので重要なエピソードではあるんですが、そのまま最終回用の締めのエピソードに最適かっていうとちょっと違うんですよね。
やっぱその先にあるドラマを描ききってこそ完全なる結末なんですよね。
でも、まあ、原作がまだ続いてるアニメで完全なる結末を描いてしまうと第2期の可能性を打ち消してしまうので、妥当な最終回だったとは思います。
でもやっぱ素直が家族への依存(甘え)から抜け出し、ぽてとも決別し、完全に自立するドラマの結末がいつの日か見たいです。
2008/04/14 21:21 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ] >なんしか素直にとってぽては「亡くした母親の代わりに家族のぬくもりを与えてくれる存在」ってのが言いたかったんですよ。 分かる、分かりますよぉおおおおおおお!!!!!
>そしてやっぱ「ぽてまよ」は素直が自立しなければならない物語ですよね。
>やっぱ第2期で完全なる結末が見たいですなー。 「ぬくもりは既に傍にあった」ことに気付き、今度は彼自身が寒いのを我慢してでも誰かを温めてあげられるようになる番。
いや、本当に二期が待ち遠しいです><
> もしよろしければもうちょっとお伺いしたいのですが、最後にぽてまよに咲いた「花」は何を象徴しているのかなと。 頭の花は種子を飛ばすことがミソで、自分の生命を懸けてでも、新たな生命を未来へ繋げることがキーなのではないかなと。
もすこし言い換えると、
「どんな生命でもいつかは消えてしまうけれど、子孫を残すことで脈々とその連なりを未来へと繋げていくことが出来る。死(悲しみ)を受け入れることで、生(喜び)を謳歌出来る」
ということのではないかと。
ぐちゅ子周りは素直×みかん×ぽてまよラインとは別ラインですね。素材は違いますが、出来あがる料理は同じ。テーマの強調ということなのではないかと。
というか、ぽてまよに全貌に触れようとするとむったんやねね様にも触れざるを得ないのですがここでは割愛しますね。
ぽてまよは「同性愛」もそうですが、「世の中にあるどうにもならない理不尽とどう戦うか」という話に行き着くと思うんですね。目の前にある理不尽に囚われず、未来を見据えて真っ直ぐ生き抜く哲学を説いているんじゃないかなーと。
別に強くなくともよくて、ときには誰かを頼ってもいい。けれど行き過ぎるな、それでは根が絡まらるぞ、みたいな。
ぽてまよは世界樹なんですよ!というのは行き過ぎた妄想なんで置いておきますw2008/04/14 23:44 | URL | まぬけづら #d8HClGl2 [ 編集 ] >頭の花は種子を飛ばすことがミソで、自分の生命を懸けてでも、新たな生命を未来へ繋げることがキーなのではないかなと。 ああ、そうだ、「再生」とか「繋がっていく生命」みたいなキーワードもちょっと考えてたんだ。
ぽてとぐちゅ子に子供が出来たのは森山素直のドラマやテーマに直結する重要な出来事なのは間違いないでしょうね。
素直がぽて(子供)と接する事で何かに気付く物語であるならば、ぽても子供と接する事で何かに気付き、その気付きがまたぽてと素直との関係性にも影響し、素直の自立の道に繋がるみたいな。
>ぐちゅ子周りは素直×みかん×ぽてまよラインとは別ラインですね。素材は違いますが、出来あがる料理は同じ。テーマの強調ということなのではないかと。 その通りでしょうね。
素直・素直ママ・素直パパ・みかん・ぽてまよで織り成すドラマのテーマを浮き彫りにする為に対照的な関係性をもつ別ラインのドラマも用意したって感じですよね。
むにゅさんが言う「ぐちゅ子は完全なる生命体であり、他者の協力を必要としない自立した孤高の存在」っていう説明も素直&のぽての対照的な存在としてもの凄く納得のいく説明でしたし。
自重せずに思いの丈を目一杯書いたらいいのにw
>ぽてまよは「同性愛」もそうですが、「世の中にあるどうにもならない理不尽とどう戦うか」という話に行き着くと思うんですね。
>目の前にある理不尽に囚われず、未来を見据えて真っ直ぐ生き抜く哲学を説いているんじゃないかなーと。
>別に強くなくともよくて、ときには誰かを頼ってもいい。けれど行き過ぎるな、それでは根が絡まらるぞ、みたいな。 だんだん着いていけなくなってきたんだけどw
言いたい事はわかるけど。
>ぽてまよは世界樹なんですよ! そこまでいくとMMRになっちゃうよ!w
なんしか、こうやって色々と思いを馳せる余地がある「ぽてまよ」はほんと懐が深い素晴らしい作品ですよねー。ぽてまよ万歳。
2008/04/15 19:27 | URL | 愚兄チャベス@管理人 #LjveDjGg [ 編集 ]>ぐちゅ子は1人で生きぬく力を持った「完全な生命体」であり、孤高の存在。生きるために他者の協力を必要としない、完璧に自立した生き物なんですね。であるから本来は他者と共存する必要はないし、人という存在に頓着すらしない。そうであるがゆえに、精神的にはひどく未熟で臆病。ぽてまよの「まっすぐな素直さとめげない強さ」と対照的に、ナイーブな精神性を持ったぐちゅ子に対する京ちゃんの「大人な対応」が(省略されました…続きを読む場合はコメント欄に「もっふるもっふる」と打ち込んでください) (あにたむ亭)もっふるもっふる自重せずに目一杯書いたらいいじゃないか!w
ぐちゅ子の解釈はめっさ納得できたし、参考になりましたよ!
■追記>>あとは「ぐちゅ子」はなんの象徴なのかなと。
>ボクは、ぐじゅ子もスナオのメタファだと思いました マル
>平たく言えばスナオの排他的な部分の象徴じゃないかな〜って思いますです。
>最終話でポテ同様、ぐじゅ子もスナオの変化に呼応してましたし、生まれも同じスナオん家の冷蔵庫ですし。自分の中ではそれでFAっすw(COCORO・de・LIVE)実はそれも考えてました。
だから中谷さんへの返答も、「ぽてと対照的な者」と「素直のメタファー」とどっちを答えにしようか散々迷ったあげく前者にしたんだけど、「素直のメタファー」ってのはかなりあると思います。
つか、最初から両方書いておいたら良かったよw
最終話でぐちゅ子が京ちゃんに歩み寄るシーンを思い返すとまた感動してきますよね。
ぐちゅ子が京ちゃんに歩みよったように、素直はパパとの関係を見直してパパにちゃんと歩み寄らねばなりませんよね。
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